元K-1ファイターで現役格闘家のノブ・ハヤシ(42)。かつて闘病のベッドから「日本にも骨髄バンクを」と叫び、実現への原動力となった大谷貴子(59)=全国骨髄バンク推進連絡協議会顧問。「どりサポ」でもおなじみの両者はともに骨髄移植で白血病を克服し、今はそれぞれの道で白血病患者を助けている。互いに尊敬しあう間柄だが、違いもある。ノブはわが子を抱く幸せを知り、大谷は知らない――。そんな2人が今度は同じ舞台に立ち、若い女性患者の妊娠支援に向かう決心をした。
(全16回連載)
目次
「人生の幸せも」
「あなたの娘さんが生まれたのは一昨年の秋だから、もう2歳くらいになったのかしら」。大谷貴子が旧知の間柄のノブ・ハヤシに彼の一粒だねの話題を持ち出したとたん、ノブは相好を崩した。「この10月で2歳です。子どもってかわいいですね。よく『我が子は目の中に入れても痛くない』って言いますけど、本当ですね」

大谷はノブの大きな笑顔を見て、自分の心も温かくした。「あなたは病気で失いかけた命を骨髄移植で取り戻しただけでなく、自分の子を持つという人生の幸せも取り戻せた。本当に良かった」
尊敬する大谷の言葉が心に染みたのか、ノブも「たしかにそうですね」と、しみじみ頷くばかりだった。
と闘うノブ選手。奇しくも二人とも白血病に襲われ、フグ選手は帰らぬ人となる。(写真提供:ベースボールマガジン社)-1-1024x684.jpg)
「僕の生き様で」
ノブは格闘界で名を高め、K-1チャンピオンを目指そうとしていた矢先に白血病を発症。2010年1月、実姉から骨髄移植を受け、生還した。その後2年間の入院と自宅療養を経て、14年12月、6年ぶりにリング本格復帰を果たした。

前年、郷里・徳島時代からの旧友で、同じく白血病を骨髄移植で克服したプロ麻雀士のルーラー山口(44)が主催する日本骨髄バンク支援のチャリティー麻雀大会に足を運んだ。会場で出会ったのが、白血病患者の支援に人生を捧げる大谷だった。
とルーラー山口さん。2人はともに徳島出身の旧友。-1-1024x768.jpg)
ノブ自身も山口や大谷に触発され、2015年から骨髄バンク支援チャリティマッチ「チャクリキ」を始めた。以後、今日まで「勝ち負けではない。リングで見せる僕の生きざまで患者を励まし、闘病を支えてくれた人たちに感謝を示す」という決意が揺らいだことはなかった。

骨髄移植前の白血病患者はほぼ決まって抗がん剤治療や放射線治療を受ける。全身のがん細胞を完全に死滅させるのが目的だが、生殖細胞も破壊される。白血病に勝っても、血を分けた子を持つ望みは永遠に絶たれてしまうわけだ。

この悲劇を防ぐため、あらかじめ患者の精子や卵子を採取・保存する方法が普及し始めている。何年かたって体調が回復した後、保存した精子や卵子を用いて体外受精し、子どもをつくるためだ。
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「この幸せをみんなに」
大谷の言う通り、ノブは2度目の命とリングに続き、親子3人の家庭という新たな生きがいを手にした。「この幸せを若い白血病患者全員のものにできれば、どんなに素晴らしいか」。我が子の寝顔を覗くたびに思いを強くした。

皮肉にも、その幸せを知らない大谷こそ、自分と同じ女性白血病患者に光を与える道、すなわち「卵子(未受精卵)保存」の普及に大きな役割を果たした人物だった。
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きっかけは大谷自身が生還後に味わった「悲劇」にあった。次回から大谷の骨髄移植直後に時間を戻し、ストーリーを進めていく。
敬称略
(全16回連載)
▽プロフィール ノブ・ハヤシ
1978年4月徳島市出身。15歳から空手を学ぶ。高校卒業後の98年オランダに渡り、ピーター・アーツら世界トップレベルの格闘家を多数輩出したドージョーチャクリキに入門。国内プロデビューの99年、K-1ジャパングランプリで準優勝する。2000年7月のK-1仙台大会で故アンディ・フグと闘い、1回KO負け。翌月フグは白血病で急死し、同年暮れノブ・ハヤシも白血病発症を確認した。本名・林伸樹。
▽プロフィール 大谷貴子(おおたに・たかこ)
1961年6月大阪市生まれ。1986年12月、千葉大大学院在学中に白血病と診断され、1988年1月、名古屋大学医学部附属病院で母親からの骨髄移植を受ける。2005年7月、認定NPO法人全国骨髄バンク推進連絡協議会第2代会長に就任(現在は顧問)。埼玉県加須市で夫と二人暮らし。本名・関口貴子。
取材協力:
全国骨髄バンク推進連絡協議会 https://www.marrow.or.jp/
ドージョーチャクリキ日本 http://www.chakuriki.jp/