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ノブ・ハヤシ、大谷貴子/白血病患者支援
「ママになる喜びを患者に」#3

元K-1ファイターで現役格闘家のノブ・ハヤシ(42)。かつて闘病のベッドから「日本にも骨髄バンクを」と叫び、実現への原動力となった大谷貴子(59)=全国骨髄バンク推進連絡協議会顧問。「どりサポ」でもおなじみの両者はともに骨髄移植で白血病を克服し、今はそれぞれの道で白血病患者を助けている。互いに尊敬しあう間柄だが、違いもある。ノブはわが子を抱く幸せを知り、大谷は知らない――。そんな2人が今度は同じ舞台に立ち、若い女性患者の妊娠支援に向かう決心をした。

(全16回連載)

「倒れているのでは」

「名古屋骨髄献血希望者を募る会」発足を報じた新聞記事の影響の大きさは、会の中心人物で事務局を任された大谷貴子の想像をはるか超えた。

北折健次郎はその朝、「少しはドナー希望者への名乗りはあったかな」と思い、大谷に様子を聞くべく、事務局の電話番号にかけてみた。しかし、いつまでたってもお話し中で通じない。

事務局で受話器を手に笑顔を見せる大谷貴子さん
事務局で受話器を手に笑顔を見せる大谷貴子さん

「もしや大谷さんが倒れでもしているのではないか。これはまずい」。心配になった北折は事務局、つまり大谷が名古屋大学病院近くに借りたマンションに駆け付けた。

「電話を代わって」

「無事でいてくれよ」。祈りながらドアを開けると、本人はテーブルの上でペンをメモ用紙に走らせながら、「はい。激励ありがとうございます。次の方の電話にも出なければいけませんので、せっかくですが、お話もそろそろこの辺で――」。電話と格闘中だった。

「よかった。無事か」。不意に現れ、安堵のため息を吐く北折に、大谷が発した言葉は「ちょうどよかった。先生、しばらくの間、電話を代わってください。私、今朝からトイレに行く暇もなくて」だった。

愛犬と一緒に写真に納まる北折健次郎さん
愛犬と一緒に写真に納まる北折健次郎さん

「1枚ずつ」

テーブルの上には氏名や連絡先が書かれたメモが山となり、こぼれ落ちんばかりだった。「すごい反響だ」。北折は目を見張った。

ドナー希望者の名簿こそがバンクの根幹。骨髄移植を待つ患者を救おうにも、名簿がなければ何も始まらない。

「メモを整理し、名簿に仕立てればバンクは実現する」。確信した北折はこの日以降、仕事の帰りや休日に時間を見つけては1枚ずつ根気よくメモをめくり、パソコンで名簿を作っていった。医師にはふさわしくないような地味な作業だが、北折の助勢は大きかった。

少しずつ「バンク」の形が見え始めていった。北折はそうした経過や経験を学会でも発表した。医療界に「バンクは早期に必要だ」という声が広がることを期待してのことだった。

「独り占め」

北折の助力は大谷らボランティアたちに感謝されたが、大学内部で北折を見るは冷たかった。「近頃の北折はいい気になりすぎだ。学会の発表を独り占めなんかして」などと非難された。完全に孤立していた。

さすがの北折も心が折れそうになった。大学に行っても研究室のドアを開けられなかったり、朝の回診後はまる一日、駐車場に置いた車の中に閉じこもってしまったり。「このまま消えてなくなったほうが、俺はどんなに楽か…」とふさぎ込むまで追い詰められた。

現在、全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事を務める北折さん(協議会事務局で)
現在、全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事を務める北折さん(協議会事務局で)

「笑顔が救い」

大谷は振り返る。「北折先生は私たちボランティアも悔しくなるほど、いえ、心配になるほど言われなき中傷を浴びていました。それでも北折先生はくじけなかったし、私たちにはおくびにも出しませんでした。だから『募る会』も前に進めました」

北折本人になぜ踏みとどまれたのかを聞いた。「骨髄移植という助かる方法があるのにドナーが見つからない患者は次々に亡くなっていく。すべての患者を救うには骨髄バンクをつくるしか方法はない。無いならつくるしかないじゃないか。人が何と言おうと信じる道を行くのみ。そんな信念でしたが、まあ、苦しかったです。支えてくれたのは患者さんの笑顔でした」

「感謝するばかり」

「募る会」は1989年、「東海骨髄バンク」に看板を変え、さらに現在の「日本骨髄バンク」につながっていく。大谷はしみじみと「先生は間違いなくその立役者の一人。おかげで今日までどれだけ多くの患者さんが救われたことか。北折先生には感謝するばかりでしたし、その気持ちは今も変わりありません」と話す。

大谷にとって北折は恩人中の恩人、同志中の同志。そんな人物に、なぜ大谷はかつて「納得できない」と非難し続けたのか。何に納得できなかったというのか。

敬称略

(全16回連載)

#4に続く

最初から読む(#1)

▽プロフィール 北折健次郎(きたおり・けんじろう)

1959年1月名古屋市生まれ。名古屋大学医学部卒業後、同附属病院血液内科に勤務していた88年1月、白血病で入院した大谷貴子のチーフ主治医として骨髄移植に携わり、「名古屋骨髄献血希望者を募る会」「東海骨髄バンク」の発足・運営に尽力した。現在、宮崎県赤十字血液センター所長、認定NPO法人あいち骨髄バンクを支援する会理事長、同全国骨髄バンク推進連絡協議会理事を務める。

取材協力:

全国骨髄バンク推進連絡協議会 https://www.marrow.or.jp/

ドージョーチャクリキ日本   http://www.chakuriki.jp/