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ノブ・ハヤシ、大谷貴子/白血病患者支援
「ママになる喜びを患者に」#9

元K-1ファイターで現役格闘家のノブ・ハヤシ(42)。かつて闘病のベッドから「日本にも骨髄バンクを」と叫び、実現への原動力となった大谷貴子(59)=全国骨髄バンク推進連絡協議会顧問。「どりサポ」でもおなじみの両者はともに骨髄移植で白血病を克服し、今はそれぞれの道で白血病患者を助けている。互いに尊敬しあう間柄だが、違いもある。ノブはわが子を抱く幸せを知り、大谷は知らない――。そんな2人が今度は同じ舞台に立ち、若い女性患者の妊娠支援に向かう決心をした。

(全16回連載)

「卵集め」

女性白血病患者の骨髄移植後の人生に母となる幸せを与えるべく、未受精卵の凍結保存プロジェクトを推し進めようとした血液内科医の北折健次郎。このころの勤め先の名古屋第一赤十字病院で注がれた視線は、かつて「名古屋骨髄献血希望者を募る会」の運営に身を投じた時と同じく冷ややかで厳しかった。

未受精卵の保存は当時の産科系学会の倫理規定に反していたこともあり、同僚は誰も手を貸そうとしてくれなかった。それどころか10歳も若い後輩医師に「北折先生は卵集めをして喜んでいる」と揶揄され、見守ってくれた上司からも「再発だけはさせないように」と釘を刺された。

再びの孤立無援。やはり、「卵子保存は患者に絶対必要」という固い信念と患者の期待に支えられた。「自分が正しいと思った道を行く。それが本当に正しかったかどうかは歴史が判断する」。そんな境地だった。

北折さんを慕う人たちから贈られた寄せ書き
北折さんを慕う人たちから贈られた寄せ書き

「余計なこと」

逆風が吹きつけたのは学内だけではない。関係する学会や大学病院などに足を運び、「未受精卵の保存は患者には福音です。普及させる必要があります」と訴えても反応は薄かった。「余計なことをするな」「話しだけ話したらさっさと帰れ」といった扱いのされようだった。

何回か同行した桑山正成は当時の北折の心中を「私たちには話す時間を与えられても、質疑応答の時間は割いてくれませんでした。毎日患者に接している現場の医師たちは関心を持ったはずでしたが。学会でも大学でも上に行けば行くほど拒絶感が強かった。悔しかったですよ、それは。北折先生はどこでもそんな冷遇にあっていましたから、心身ともに疲弊されたと思います」と察する。

大谷も「北折先生が所属する血液内科学会が一番、北折先生に背を向けていました。それが意外でした。でも、彼らが卵子保存に理解を示してくれないことには何も始まりません。だから私もとても悔しかったです」と同調する。

上に行けば行くほど――。実際、ある学会が卵子保存を一部容認するような声明を出した後で、その上部の学会が否定、取り消しに走るケースもあった。

全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事会に出席する北折さん(左)
全国骨髄バンク推進連絡協議会の理事会に出席する北折さん(左)

「医療の成功とは」

大谷自身も悔しさを味わっていた。全国に若い女性患者の知り合いがいた大谷は、彼女たちに「子どもが産めなくなる恐れがあるの。でも卵子保存という手段が見つかったのよ」と話した。すると、たいがい「子どもが産めなくなるなんて、ちっとも知らなかった。先生も教えてくれなかった。私も卵子保存しておきたい」と返ってきた。

そこで大谷がそれぞれの主治医にかけあうと、決まって「問題点が多すぎて認められない」の一点張りで、説明を尽くしても通じなかった。顔には「うちの患者に要らぬ知識を吹き込んでくれたものだ」という不快感が浮かんでいた。

「患者に情報も与えず、意思も聞こうとしないなんて。いったい医療の成功とは何なのだろう。患者の命だけではなく、人生を救うことが医療ではないの」。大谷は帰り道で歯噛みした。

地元の埼玉県加須市で講演する大谷さん(1999年2月)
地元の埼玉県加須市で講演する大谷さん(1999年2月)

「子どもができました」

当時、既に精子の凍結保存は普及しており、「患者の会」などを通じて知り合った男性患者から「子どもができました」という便りが届くようになった。赤ちゃんを見に行き、抱かせてもらった。とても元気で可愛らしかった。

「この喜びを必ず女性患者にも」。大谷は決意を新たにした。立ちふさがる壁を前にしてますますファイトが湧き、自慢の“臓器”をフルに使い、少しずつ味方を増やす作戦に出た。

敬称略

(全16回連載)

#10に続く

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