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大橋一三/骨髄ドナー #11
「私もドナー登録者」

記者会見に臨む三森裕さん(中央)。右端に大橋一三さん、左から2人目に大谷貴子さん(2015年4月)

正月恒例の箱根駅伝。寒風にたなびく出場大学ののぼり旗はすっかりおなじみの光景だが、その中に「いのちのタスキリレー」という一風変わったのぼりが混じっているのをご存じだろうか。白血病患者救済に努める「日本骨髄バンク」をPRするのぼりだ。2度の骨髄提供経験のある元大学陸上部員が18年前、「テレビ中継を見る患者に『いつもあなたを応援しています』というメッセージを送ろう」との一心で始めた。熱意は駅伝主催団体や企業のトップらにも伝わり、のぼりを持つ仲間を増やしていった。

(全20回連載)

「シンプルに」

2002年2月、骨髄バンクの黎明期を題材にしたNHK「プロジェクトX」を見たのがきっかけでDNBを発案したプルデンシャル生命名古屋支社社員の伊藤久夫(62)は上京の折、当時の社長に自分の考えをぶつけてみた。すると社長は「それやろう」と二つ返事でOKしてくれた。伊藤は勇躍した。

日本相続学会の会合であいさつする伊藤久夫さん
日本相続学会の会合であいさつする伊藤久夫さん

東京本社の商品担当チームでDNB具体化への検討が始まった。伊藤はチームに「できるだけシンプルな形の特約にしてください」と再三要望した。他社の追随を誘い、DNBを保険のスタンダードにするのが狙いだった。スタンダードになれば救える命も増えるからだった。

完成に向け伊藤さんが推敲中のDNB提案書。最初はLRB(Life Relay Benefit)等の名称を考えていた
完成に向け伊藤さんが推敲中のDNB提案書。最初はLRB(Life Relay Benefit)等の名称を考えていた

「金融庁がどう言うか」

チーム側も伊藤の意図をくみ取った。もっとも、社内で話がまとまれば済むわけではない。問題は保険業法を管轄する金融庁がどう判断するか、DNBに対し首を縦に振ってくれるかどうかだった。

DNBはそれまでの保険とは全く内容を異にする。正反対と言っていい。保険はみんなで不慮の事態に備えてお金を出し合い、運悪くその事態に陥ってしまった人を集まったお金で救済する仕組みだ。

ところがDNBは不慮や不運どころか、自発意思でドナーになった者に給付金を渡すというものなので根本から違った。保険業法に手を付けることにもなり、金融庁との折衝は難航が予想された。

折衝の段階からDNBは伊藤の手を離れたが、「あの金融庁が果たして…」と名古屋から気をもんで見守った。しかし、そこに一つの僥倖が待ち受けていた。

同じく推敲中のDNB提案書。「経緯」の中で提案のきっかけになった「NHKプロジェクトX」に触れている
同じく推敲中のDNB提案書。「経緯」の中で提案のきっかけになった「NHKプロジェクトX」に触れている

「こんな偶然が」

「今日は当社が新しく取り扱いを考えているサービスの件で参りました」

金融庁を訪れたプルデンシャル生命の社員は同庁担当官を前にこう切り出し、DNBの内容を説明し始めた。担当官も関心深く聞いた。

説明がひと段落着いたところで、担当官は柔和な顔で思わぬ言葉を発した。「よくわかりました。実は私もドナー登録しています。まだ骨髄液の提供はしていませんが」

プルデンシャル生命退職後、ニューヨークを訪れたときの三森裕さん
プルデンシャル生命退職後、ニューヨークを訪れたときの三森裕さん

こののちDNB取り扱い開始時にプルデンシャル生命の社長を務めた三森裕(68)は回想する。「金融庁から戻った社員から『担当官がドナー登録者』という報告を聞き、とても驚きました。こんな偶然があるのか、って。もちろん法律がかかわるので、それだけで『はい、ではDNBを認めましょう』と事がすんなり運ぶわけではありません。でも、『保険にもっと市民目線を』という我々の考えをすぐに拾ってもらえたはずです」

「偶然性」が壁

DNB実現には歓迎すべき「偶然」だったが、突っ込んだ議論になると、今度は「偶然性」が壁になった。何が壁だったのか。素人には少々難しいが、改めて、“法律を変えた男”伊藤に肝心な点をなるべく簡単に説明してもらった。

「保険業法の定義では、保険金を支払うべきケースを被保険者(保険の対象者)が死亡したとか入院して手術したとか、被保険者自身に不慮の変化があった場合としています。被保険者本人が時期を選択できない、偶然起きたケースに限定しているわけです。一方、骨髄の提供は他人の病気治療のために被保険者が行うわけですから、一見、偶然性より任意性が勝る。これが壁。しかし、万分の一といった確率でHLA型が合致し、ドナーに選ばれるという点では偶然性がある。つまりDNBも偶然性に立脚している。射幸性もない。そこを金融庁も受け入れ、保険の定義に加えた。まあ、ひと言でまとめるなら、骨髄バンクという仕組みがあり、偶然を作りだすので保険として成り立つという理屈ですね。これも保険の進化だったと思います」

予想通り折衝は年月を要したが、規制緩和の流れにも乗り、DNBもほどなく金融庁の認めるところに。名古屋で知らせを聞いた伊藤は安堵し、尽力してくれたすべての同僚に感謝した。

記者会見に臨む三森裕さん(中央)。右端に大橋一三さん、左から2人目に大谷貴子さん(2015年4月)
記者会見に臨む三森裕さん(中央)。右端に大橋一三さん、左から2人目に大谷貴子さん(2015年4月)

「記者会見にぜひ」

2005年4月、プルデンシャル生命の東京本社でDNBの記者会見が開かれた。発表者が並ぶひな壇の真ん中に座った三森は詰めかけたマスコミを見渡し、「お、けっこうな数の記者が来ているな」と驚いた。DNBの画期性が注目された証左だった。

大谷貴子さん(左)、大橋一三さん(右)
大谷貴子さん(左)、大橋一三さん(右)

ひな壇には全国骨髄バンク推進連絡協議会会長(当時)の大谷貴子(58)、大橋一三(54)の顔もあった。プルデンシャル生命が元白血病患者であり、かつ患者支援団体代表でもある大谷に「会長さんも記者会見にぜひご参加を」と要請し、快諾した大谷がドナー経験者の代表として大橋にも同席を呼び掛けた。

三森、大橋、大谷の3人が顔をそろえたのはこの場が初めてだったが、出会いはさっそく翌年の箱根駅伝でののぼり運動と白血病患者支援に大きな前進をもたらすのだった。

敬称略

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(全20回連載)